中原本線昼間時ダイヤ(1955→2001)

 
 15分サイクルダイヤはやっぱり芳しくないです。そこで一時中断し,元通りの20分パターンの方を先に作ることにしました。
 今回は中原本線の昼間時ダイヤの系譜です。ほぼ半世紀の変遷を作ってみました。
 
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・1955年
 中原急行初の高性能車2000系の増備により,高性能車のみの運用が可能になり,急行の増発及びスピードアップが行われた。
 30分サイクルで,1時間あたりの運転本数は急行2,準急2,各停10の14本である。
 急行が中原止(以前は三ヶ木行)となり運転区間が縮小されたが,これは高性能車の車両数の都合であり,1957年には三ヶ木までの直通運転に戻された。
 
 現在に比べ,急行の停車駅がかなり少ない。当時は今よりも都市間輸送の役目を担っていたが,沿線がまだあまり開発されていないことでもある。
 
・1961年
 東京郊外・中原地区の開発の進展に伴い優等列車の需要が増大したため,準急を急行に昇格させ,15分ヘッドに改めた。これに伴い,各停も含め15分サイクルに整理した。
 急行は2000系2両と3000系4両の6両編成で,有効長・需要の関係で,中原で後2両が切り離される。
 1963年の急行8両化の折も同様で,中原で後4両の解結が行われた。
 
・1968年
 坂浜〜新町間改良工事の完成,下田駅・秋葉駅新設に伴うダイヤ改正である。急勾配・急曲線が解消され,約2分のスピードアップがされた。また最高速度が100kmから110kmに向上されたことと併せ,急行の場合,品川〜中原間で下り2分50秒,上り3分10秒のスピードアップがなされた。
 
 ダイヤ自体は1961年のダイヤとほとんど変わっておらず,末端区間(久保沢〜三ヶ木間)が増発されたのみである。
 
 なお,急行の品川〜中原間の所要時間はこのダイヤが最も所要時間が短かった。下り35分00秒,上り34分20秒である。
 この後,増発や停車駅の増加によるスピードダウンが発生し,2005年現在においては下り39分00秒,上り38分10秒である。
 
 
・1972年
 下田・新町駅周辺の大規模住宅団地の完成により両駅の乗降客数が急増したため,神保原止だった各停を新町まで延長した。
 また,川尻〜三ヶ木間の8両化の完成により急行の中原での分割併合が廃止された。但し,所要時間自体は現状維持とされた。
 
 
・1975年
 三田線直通開始にダイヤ伴う改正である。
 
 三田線内は昼間時は6分40秒ヘッドであり,中原本線からは急行3本と各停6本が直通する。急行は8両編成で中原車の限定運用,各停は6両編成で中原車と都車の混合運用である。
 
 自社線内では,輸送量の増大に伴い,4-8ダイヤから6-9ダイヤに増発された。ただ,以前は緩急接続地点が明確であったが,今改正では急行と各停の本数が品川〜神保原間で不揃いとなったため,緩急接続・退避パターンが直通急行と線内急行とで異なることとなった。
 
 
・1977年
 新玉川線の開業に伴い,桜新町駅に急行が停車するようになり,これに伴うダイヤ修正が行われた。
 
 なお,1976年には三田線高島平〜西高島平間開業により乗入れ区間が延長されている。
 
 
・1983年
 南陽駅の開業によるダイヤ改正が行われた。また同時に下田駅に急行が停車するようになった(※)。下田駅の乗降客数の増加もさることながら,神保原〜中原間の各駅の乗降客数全体が増加していることに対応しての停車である。
 これに伴い,神保原での緩急接続が廃止され,替わって下田で緩急接続が行われることになった。
 
(※)中原本線沿線では多摩川以東の平地の開発が一段落すると多摩丘陵を飛び越し,中原市・相模原市での宅地開発が盛んになったが,1970年代になると建設機械を用いた大規模開発が進展し,丘陵地帯の開発が進んだ。
 これにより神保原〜中原間の乗降客数は中原駅が突出した状態から,各駅がこれに近づくようになってきた。
 よって中原駅の重要度が相対的に低下したことから急行停車駅の設定も見直すことになり,神保原〜中原間で最も拠点性があり乗降客数も多い下田が停車駅に加わることになった。
 
 
・1992年
 宮ヶ瀬線の中原開業に伴うダイヤ改正である。ラッシュ時は大きくダイヤが変更されたが,昼間時は中原〜森下間で宮ヶ瀬線直通列車が新設された以外,変更点はない。
 
・2001年
 前年の多摩都市モノレールの開業により接続駅である新町駅の乗降客数が増加したことから,急行停車駅に新町が追加された。
 
 急行の役割は元来,都心方面〜中原間の都市間輸送であったが,1992年に宮ヶ瀬線が中原に到達したことにより都心方面〜中原間の都市間輸送のウェイトは低下しており,停車駅を増設して所要時間を増大させても全体の利便性低下は見られない状況になっていた。
 そこで中原本線の急行の性格を都市間輸送から地域間輸送に変更し,各主要駅にこまめに停車させることとした。
 都市間輸送のウェイトの低下は既に1970年代から出ていたが,1992年の宮ヶ瀬線中原開業で決定的になっていた。そして,今ダイヤ改正で,改めてこの方針を打ち出すことで全線全種別で役割の再分配を行い,輸送の方向性を明示し,明確なダイヤを作成することとした。